インド旅日記

インド旅1ヶ月(スマホ無しで57歳の男が旅してきました)

インド旅24

インド旅で自分が変わったことは特にないのだが、あえて言えば時間の観念だろう。インドで過ごした1か月ではなく、インドで味わった時間の進み方だ。列車旅が多かったのだが、列車を待つ時間や列車で目的地まで行く時間が今まで体験したことがないほどの長さだった。その上予測不可能というおまけ付きだ。というのはインドは当然のように発着が遅れる。そして情報が少ないだけでなく、急な変更も多いのだ。そんな綱渡りのような旅をし続けると時間の感覚がマヒしてくる。というか時間に追われて、時間内にあることを成し遂げようとかどうでもよくなっていく。なぜならまず時間があてにならないし、時間をあてにしてはいけないのと思うのだ。そしてそのような状況になるとあせってもしかたがない、なるようになるさと必ず自分に言い聞かせるようにしていた。

わたしたち日本人は時間に追われて生きている。時間が正確なことは素晴らしいことだが、時間を意識し過ぎているような感じがする。時間に対し意識過剰で、内容の濃い時間を追い求め過ぎるあまり、むだな時間をできるだけ削ろうと考える。その結果、睡眠時間を削ったり、休む時間を削ったりして労働時間を増やしている。

過労死は時間に追われて生きている日本人が作り出したものだ。考え方を変えない限り、どんなに制度を変えても無くならない。睡眠時間や休む時間を削ることは命の時間を削っていることだと気づくべきなのだ。つまり時間の中に無駄という概念を決めているのは自分で、そこに価値を求めてはならない。時間の中に無駄な時間というものは存在しない。時間の中で起こっていることはすべて自分の人生の出来事なのだから。

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インド旅23

 

インド旅をしてだまされた人はたくさんいると思う。私もその中の一人だ。しかし時間が経ち、こんな風にブログを書いていると心の中に変化が表れてくる。最近とても気に入っている歌がある。ビリー・ジョエル の「オネスティ」だ。「誠実」という意味だが、日本の誠実は、他人に向けて誠実に生きることなのだ。嘘を言わない、約束を守るということだ。ところが、インドでは平気で嘘を言うし、約束を守らなかったりする。それで日本人はインドでだまされたと思ってしまうのだが、日本の誠実とインドの誠実は明らかに異なる。生きることで必死なインドでは見栄も外聞も全く通用しない。インドの誠実は自分に対して誠実に生きることなのだ。インドの人は平気で路上で寝るし、ところ構わず用を足すし、ごみは平気で捨てるし、交通ルールは守らない。列車の時間もルーズだし、お釣りもごまかす。仕事もすぐ手を抜く。インドの悪口を書いて、インドを否定しているように見えるかもしれないが決してそうではない。これがインドなのだ。私はインドに行ったおかげでこの歌詞の意味の深さがわかったような気がする。

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"Honesty"

If you search for tenderness
もし優しさが欲しいのなら
it isn't hard to find.
見つけるのはそう難しくない
You can have the love you need to live.
生きるために必要な愛も手に入る
But if you look for truthfulness
でも、もし真実を欲しているのなら
You might just as well be blind.
例え盲目であろうと同じこと
It always seems to be so hard to give.
そんなもの、ありはしないのかもしれない

Honesty is such a lonely word.
誠実――なんて空虚な言葉だろう
Everyone is so untrue.
誰もが正直ではないからだ
Honesty is hardly ever heard.
誠実――聞いたことすらない
And mostly what I need from you.
でも、あなたに欲しいものはそれなんだ

I can always find someone
適当な誰かを掴まえて
to say they sympathize.
同情してもらうことなら簡単だ
If I wear my heart out on my sleeve.
腹を割って話せばそれでいい
But I don't want some pretty face
でも、かわいい顔で、
to tell me pretty lies.
かわいい嘘なんてものはいらない
All I want is someone to believe.
欲しいものは信じられる人なんだ

Honesty is such a lonely word.
誠実――なんて空虚な言葉だろう
Everyone is so untrue.
誰もが正直ではないからだ
Honesty is hardly ever heard.
誠実――聞いたことすらない
And mostly what I need from you.
でも、あなたに欲しいものはそれなんだ

I can find a lover.
恋人は見つけることができた
I can find a friend.
友達は見つけることができた
I can have security until the bitter end.
一応のこと安心して生きることはできる
Anyone can comfort me
誰であろうが慰めてはくれる
with promises again.
また期待を持たせて
I know, I know.
それはわかっている、わかっているんだ

When I'm deep inside of me
考え込んでしまっているときは
don't be too concerned.
気にしないでいてほしい
I won't ask for nothin' while I'm gone.
そういうときは何も求めちゃいないから
But when I want sincerity
でも、誠意が欲しくなったときには
tell me where else can I turn.
どう向かえばいいのか教えて欲しい
Because you're the one I depend upon.
あなたが唯一頼れる人なのだから

Honesty is such a lonely word.
誠実――なんて空虚な言葉だろう
Everyone is so untrue.
誰もが正直ではないからだ
Honesty is hardly ever heard.
誠実――聞いたことすらない
And mostly what I need from you.
でも、あなたに欲しいものはそれなんだ

 

 

 

インド旅22

インドを旅すると必ず体験すのがサービスに伴うチップの要求だ。リクシャやタクシーのドライバー、ホテルやレストランの従業員、ツアーコンダクターやパフォーマンスをする人達などはたいていチップを要求する。チップは本来支払うべき正規の金額に上乗せして支払うものだから強制されるものではないのだが、インドでは当然のように請求してくる。最初はそのことに違和感を感じていたが、旅を続けていくうちに気づいたことがある。インドでは今でも階級制度が残っており、底辺の人は仕事を持たない人が多く、たとえ仕事があったとしても満足なお金をもらっていない。つまり彼らにとってチップ事態が生活の資源になっているのだ。必死なのだ。お金を取れるところからできるだけ多く取ろうとしているだけなのだ。

 

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彼らはチップを要求すときに、決して自分たちの方から金額を言わない。これは「インドの交渉術」なのだ。サービスに対しての代償を決めてくれと主張し、こちらにサービスの査定を求めてくる。つまりその方がより多くのお金をもらえることを知っているからだ。特に日本人はこのやり方に弱いのではないだろうか。私たちは日本人は小さいころから周りの視線を絶えず気にするように教えられてきた。「どう思われるか?」「どう見えているか?」自分の本音の気持ちを隠しながら他人を意識するように教えられてきたのだ。そのため日本人の多くが、変な見栄を張ってより多くのチップをあげてしまうようだ。だからインド人にとって日本人は絶好のカモなのだ。私も最初に着いたデリーではかなりカモにされて、かなり高額なチップをあげてしまった。

インド旅をしたことで気づいたことがある。私自身も心の中に中途半端な見栄がたくさん存在していることと、そして他人によく思われようと自分の本音をごまかして生きていることである。日本では普通のことかもしれないが、インドでは全く通用しないのだ。

インド旅21

私はスマホを持たずにインドを旅した。スマホがないと不便どころか絶対に旅行は無理だ」と友人に否定された。しかしスマホを持って行かなかった。というよりもスマホを購入しなかったという方が正しいだろう。私は今でもガラ系のケイタイ利用者なのだ。スマホを持っていけば便利なことはもちろんわかっているのだが、あえて持って行かなかった。理由は私のインドへの『旅』を旅行にしたくなかったからだ。旅と旅行は同じではないのだ。私の勝手な思い込みかもしれないが、旅行とはツアーのような行程が事前にすべて決まっているもので、なんとなく人任せという感じがする。それに対して旅は自分で行動を決める。行程もその日の状態や気分で自由に変えていけるのだ。

スマホは便利すぎるがゆえに『旅』を旅行に変えてしまうのだ。スマホは便利すぎるのだ。行動しなくても最短距離のベストな方法を選択できる。もちろんその方が失敗することや後悔することも回避できる。しかしそれは『旅』ではないのだ。私の考える旅とは不便なものでなければならない。失敗は旅の必要条件なのだ。スマホからの情報はベストかもしれないが、その通りの行程をたどればツアーの旅行と変わりはないと思う。

 

ということでスマホ無しでインド旅をした。すると想像以上の困難をいくつも体験した。やはりスマホ無しで一番苦労したのは長距離列車の旅だった。ローカル列車には駅名が表示される電光掲示板があったが長距離列車にはない。また止まる駅のアナウンスもしてくれない。自分の降りる駅は自分で探さなくてはならない。しかもインドの列車は時間が適当だ。遅れるのは当然で、特に長距離になると3,4時間なんて普通なのだ。駅の停車時間も適当だ。出発するベルの音もない。私は到着予定の時間を過ぎると、とにかく必死だった。ドア口に立ち、いつでも降りれる準備をし、駅に着くたびに車掌や乗客に確認した。しかし、英語が通じない人や適当に答える人もいるので、プラットホームのヒンディー語の下に小さく表示されている英語の駅名を自分で確認するしかなかった。今はインドもスマホが普及してるので、スマホを見れば到着時間が確認できるようになっているが、スマホを持たない乗客はみんな私と同じようなことをしていた。

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インド旅20( Vol.2 )

日本という平和で恵まれた国に生まれ、そのまま生活を続けていると、何が本当の幸せなのか、何を目的に生きればいいのかさえ見えなくなっていた。過去は後悔、現在は不満、そして未来は不安と自己否定することばかりだった。インド旅は私の人生の折り返し点なのかもしれない。呼吸するためには絶対不可欠なものだとは頭ではわかっているが、ほとんど意識することはない「空気」に気づかせてくれたような気がする。人口が13億人もいるインドを1か月旅し、インドの生活、考え方、習慣、価値観などを体験するとインドにはない日本の「空気」がいっぱいあることに改めて気づかされた。インドの人はヒンドゥ教などかなり信仰に熱心だ。町の中を牛、イノシシなど普通に町中を歩く。そのため道路はフンだらけだ。町をきれいにすることよりも優先する理由は彼らの信仰があるからだ。汚い町は乞食を排除しないのだ。カースト制の身分差別も普通に存在する。乞食は当然であるかのように金を要求し、恵んでもらう。乞食の中には身体障がい者や老人などが含まれていて、インドという国は彼らを牛、イノシシと同じように排除しないのである。生かしているのだ。

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私はインドでかなりだまされた。デリーに着いたとたんデリーの観光局DTTDCと教えられて連れて行かれたところは「インディアン・トラベル・センター」という旅行会社だった。日本人と会わないようにわざと市内から離れた安いホテルばかりをブッキングする。インターネットで列車や飛行機を予約するが、キャンセル待ちの状態でもそのまま渡す。詳しい説明は一切しない。とにかく早くデリーを出発させ、あとは最後までたどり着くかどうかは本人次第といった感じだ。保証も責任もとらないのである。もちろん費用はけっして安くない。インドではだます方よりもだまされる方が悪いのである。ブッダガヤで、あるインド人がこんなアドバイスをしてくれた。『だまされたことをインド人に話すな。話せば同情するふりをして、だましやすい相手だと思ってまたその人もだまそうとするから』と。

インド旅19

4/29(日) 17:00 ムンバイ空港発→ 19:10 デリー空港着→ 4/30(月) 2:40 デリー空港発

→ 11:20上海空港着 →14:20 上海空港発→ 17:15 福岡空港

 

ムンバイからデリーまでの飛行機では一人の若者と一緒になった。ギターを持っていたり映画の趣味が一緒だったりで話が盛り上がった。またもや連絡交換をし、記念に読み終わった仏教の本をあげると、彼からギターのピックをもらった。

 

夜7時にデリー空港に着き、すぐに出国手続きができるのかと思っていると、ある大きな待合室に通された。ここからがとにかく長かった。自分の乗る飛行機の出発2時間前にならないとここから出られないのだ。ライフルを持った警官が監視していた。自分の乗る飛行機は翌朝の2時40分なのでここで5時間ほど待たされた。早く着いても意味がないのだ。みんな念のために空港には早めに到着しているので、待合室は混雑していた。持つことには慣れていたがこの待ち時間は本当に苦痛だった。時間がなかなか経たなかった。日本にもう少しで帰れるという気持ちがそうさせるのだろう。

 

この待ち時間で自分のインドの感想を書いた。「振り返れば苦難連続の1か月だった。この1か月のインド旅は何だったのだろう。自分自身を、自分の性格を、自分のこれまでの人生を振り返る時間だったような気がする。インド旅は心配したり、困ること等たくさんあったが結局は乗り越えていた。あと数時間後には日本に帰り、元の生活に戻っていく自分がいる。

しかしこのインド旅がこれからの日本の生活にどう影響していくのだろう。何も変わらないのではないか。そんな気もする。ただインドに1か月滞在したという事実は自分の人生に刻まれた。それは確かだ。時間の感覚、日本の食べ物がやはり自分に合っていること、日本人が本当に親切であること、その上にいろんなシステムやマナーが存在していること等を再認識させてくれた。帰ったら何が待っているのだろう。もし何かが起きたとしてもインドで乗り越えてきたように目の前のことに1つ1つ対処していくしかないのだ。」

 

出国手続きを終え、途中で仲良くなった福岡に留学中のインド人と免税店でみやげを買う。持っていたインドの通貨を全部使い切りたいと言うと買い物の付き合ってくれた。ウイスキーとチョコレートをある免税店で買ったのだが非常に腹が立った。店員のマナーがひどすぎる。持っていた1枚の500ルピー札に落書きがあるので使えないと言う。それを含めて計算して買おうとしているので足りないのだ。しかしどうしてもその札は受け取らない。そこでみやげの数を減らしたり変えたりしていると明らかにいら立ち始めた。結局なんとか買える状況になったのだが、店員がそのいら立ちをそのまま態度に表す。袋に品物を投げつけるように入れる。免税店のテープも適当に貼る。いかにもこちらを挑発するような態度だった。喧嘩することもないとその場をすぐに離れたが、インド人のレベルの低さを感じた。

デリーから上海空港への飛行機にはスムーズに乗れた。疲れと安心とでとにかく上海に着くまでぐっすり眠った。

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上海空港

 4/30(月) 上海空港に11時30分に着く。ここでもプライオリティ・ラウンジに行って休んだ。久しぶり辛ラーメンを食べた。懐かしい味だ。うまい。ここでもビールを1本だけ飲んだ。13時に搭乗口に向かった。あと数時間後に福岡空港に着く。無事に日本に帰ってこれたことを本当に幸せに感じる。

インド旅18

14:30 エローラ発→15:30 アウランガーバード駅着→ 21:35 アウランガーバード駅発

→4/29(日) 5:35 CSMT駅着→11:00 ムンバイ空港着 

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感動の余韻を残しながらエローラを出発する。そのままアウランガーバード駅に向かう。ドライバーとはほとんど会話をしなかったが、逆にそれがよかった。変なショッピングの店に連れて行かれたり、何かを売りつけようとしたり、チップを要求したりということを一切しなかった。懸命に運転だけに専念してくれた。私はそれがうれしかったので別れるときに500ルピーのチップをあげた。本当に素直に喜んでくれた。これが本来のチップなのかもしれない。

 

しかし予定よりもずいぶん早くアウランガーバード駅に着いてしまった。まだ昼の3時半だ。列車の出発まで7時間もある。ウェイティングルームに行くとファンがあるだけだった。暑いが外を歩き回る元気はない。結局そこで待ち続けた。

 

4/29(日) CSMT駅に着いたのは1時間遅れの6時半だった。あとはムンバイ空港までいけばよい。空港だったら駅から直通の列車がありそうなものだが、ないのだ。調べるとムンバイ空港の最寄りの駅まで行き、そしてタクシーかオートリクシャで行かなければならない。最寄りの駅名はアンデリーだった。ここCSMT駅からいけるというので切符を買いに列に並んだ。たまたまだが、自分の前に一人のポーターが割り込んできた。頭に数匹の魚の入ったかごを乗せていた。汗びっしょりで急いでいるようだった。ポーターは特別なのかと思い譲ろうとすると駅員が怒りだした。お金を受け取ろうとしない。ポーターも粘る。そのうち列に並んでいたインド人たちがざわめきだす。自分に文句を言っている者もいる。結局駅員がポーターに切符を投げつけるような形で終わるのだが、これが自分に飛び火する。インドの列車の切符代は安く10ルピーから30ルピーでたいてい乗れるのだが小銭がない。仕方がないので500ルピーの紙幣を出すとこの駅員が私に怒り出したのである。また列がざわめきだす。かえ結局その駅員はさっきポーターと同じように切符とお釣りを私に投げつけるよう返した。がなんとなくおかしいと感じた。目の前に100ルピー札が何枚も見えていたのにわざわざ50ルピーだけで返したのだ。すぐに数えるとお釣りが200ルピーも足りない。しかしもう後ろの客が買い始めていた。悔しい気持ちでその場を離れた。インドではバスの車掌であろうと駅員であろうとお釣りをごまかそうとする。それが普通のことになっている。きちんと給料をもらっているであろう人ですらこれが慣習なのかと考えると非常に残念である。

 

本当は時間があるのでCSMTの市内散策をと考えていたが、気持ちに余裕がなかった。アンデリー行きの列車が出るというプラットホームにすぐ向かってしまった。列車が止まっていたので、中にいた若いカップルのインド人に”To Andelhi?”と聞くと女性が”Yes”と答えた。怒りが少しずつ消えていくのを感じながら止まる駅名のアナウンスに耳を傾けていたが、とうとう終点まで着いてしまった。だまされた?それとも自分の言った「アンデリー」の発音が違う駅名に聞こえたのか?その列車は再びCSMT駅に向かっていた。片道1時間半無駄な時間を過ごしてしまった。新たに乗ってきた一人のインド人に聞くと途中で乗り換えればいいと教えてくれた。その駅名と時間をスマホで調べ、最後まで私を迷わないように案内してその列車に乗せてくれた。お礼に日本から持ってきたシーツをプレゼントした。インド人をひとくくりに考えてはならない。とても親切なインド人にもいっぱい出会ったのだから。

 

アンデリー駅からムンバイ空港まではリクシャを利用した。渋滞で止まると女の子が泣きながらお金を求めてきた。小銭がなかったので”Sorry”と言ったが泣いて離れようとしない。ポケットにあった20ルピー札をあげるとさっといなくなった。

 

空港ではコンピューターに入力して自分でチケットを出さなければならなかったが、これはスムーズに完了した。ちゃんと自分の名前で登録してあった。続いてセキュリティーだが荷物を減らしていたので機内持ち込みにした。ただ流れがわからなかったので、念のために長い列に並んだがこれは全く必要のない手続きだった。ここで1時間半ほどむだにした。結局直接ゲートを通過した。ここでも事件は起きた。荷物検査で別のトレイに入れた財布を忘れたことに気づき、荷物検査した場所に戻ろうとするとライフルを持った警官に追いかけられた。相当焦っていたのだ。財布の中にパスポートとチケットを入れていたからだ。今考えると日本に帰りたい気持ちで必死だったのだと思う。

 

空港内ではプライオリティ・ラウンジで休んだ。ビールを久しぶりに飲む。しかし1ヶ月酒を飲まず、ほとんど満足な食事もとってこなかったので、急に大量のアルコールを入れたら危険だと思ったので1本で我慢する。みやげはデリー空港で買う予定なので確認だけにする。飛行機は予定通り夕方5時に出発した。