インド旅日記

インド旅1ヶ月(スマホ無しで57歳の男が旅してきました)

インド旅29

登山家の栗城史多さんがエベレストで亡くなった。私は2年ほど前に彼の講演を聞いたことがある。凍傷で指を失くしてもまたエベレストに挑戦し続けるという話を聞いて、なぜそこまで自分を追い込むのかと、その時は疑問を持ちながら聞いていたと思う。彼の目的がわからなかったからだ。「何を得ようしているのだろう?」「注目され、やめれなくなったのか?」「借金はどれくらいだろう?」「彼をそこまで駆り立てるものは何だろう?」などと思いながら聞いていた。

インド旅から帰ってきて、私は彼の気持ちが少し理解できるような気がする。目的を外に求めてはいなかったのだ。何かを達成して自分が変わるとか他人に評価されるとかは彼にとってどうでもよかったのではないか。私たちは損得勘定に惑わされ過ぎているような気がする。例えば「いくら儲かるのか、注目されるのか、地位が得られるのか」などと絶えず外に評価を求めて生きている。

栗城史多さんは登山家だ。私も大学時代登山部に所属していたので、登山をする人の気持ちがわかる。自分を追い込んで苦しくて仕方がない環境の中で、あきらめたら後悔すると葛藤しながら最終的に頂上に立ち、そして無事下山した時の感動というか感情を忘れられないのだ。登山をしない人に話しても理解してもらえないところだ。

しかし、自分を追い込んで喜んでいるM的な感情が登山する理由だと言う人はほとんどいない。一方、登った山の名前とか山の数の多さとか山の高さを登山の目的だと説明する人は多い。登山を正当に評価させるために外向けにシフトしたことに気づいていない人もいるのではないだろうか。

ブログやインスタグラムは他者が見るのだから、他者の評価を気にして作成する人がほとんどだと思う。しかし、栗城さんはスポンサーや応援してくれるサポーターに対して自分の登山動画を配信していたが、他者からの評価は気にしていなかったのではないだろうか。だから何度もエベレストに挑み続けられたのではないだろうか。

彼にとっては、エベレストという限界的な状況に身を置くことで出会える感情そのものが彼の目的だったと思う。そして彼は命を懸けてでもそれに触れようとした。

勝手な解釈かもしれませんが、栗城さんのご冥福をお祈り申し上げます。

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