インド旅日記

インド旅1ヶ月(スマホ無しで57歳の男が旅してきました)

インドから帰ってきた(Vol.3)

インドから帰ってきて25日目だ。ブログを書いていくうちに自分がなぜインド旅をしたのかわかってきた。旅は逃避である。ぜいたくな逃避と貧乏な逃避。もちろん貧乏な逃避をしてきた。目的は自分を追い込むため。自分を追い込むことによって自分の中にある可能性を探りたかった。その上ではインドは最高の選択だった。到着したその日にインド人に騙された。全く予定と異なる旅をすることになった。簡単なインターネット予約のプリントが1枚とざっとした行程表1枚を渡されただけで、具体的な情報も与えずにデリー駅から送り出された。頼りになるのは「地球の歩き方」というガイドブックだけだった。そのガイドブックも一度、列車で行方不明になった。その時は生きた心地がしなかった。そんなこんなで自分の弱さ、甘さ、不器用さなどさらけ出す旅となった。旅は容赦なく次から次へと試練を私に与え続けた。途中で旅をリタイアして日本にすぐにでも帰りたいと思った。しかしインドはそれさえも許してくれなかった。引き返すのも簡単ではなかった。結局前に進むしかないと腹をくくった。とにかく必死になって前に進んだ。すると時間に対して欲が無くなった。明日のことよりも今日、先のことよりも今を生きることに集中した。インドの未来は予測不能だ。電車の発着はたいてい遅れる。2,3時間なんて当たり前だ。移動する交通手段もその場で探し周らなければならない。駅と駅がつながっていなかったりバスに乗り換えるにも駅からバススタンドがかなり離れていた。そのたびにリクシャを経由して移動した。リクシャは必ずインド人との交渉付きだ。高い金額をどこまでディスカウントできるか、いちいち面倒くさかった。とにかく旅行者は彼らにとって絶好の獲物でいかにして金をだまして取ろうかと考えているのがわかった。道を聞くと知らなくても親切に案内する。全然目的地に着かないこともあった。あと英語がほとんど通じなかった。ヒンドゥ語しか通じないインド人がほとんどだ。逆に英語も話し、日本語も話せるインド人は要注意だ。だまされると思って間違いなかった。駅の案内所でも英語が通じず困った。スマホがないと情報が何も入らないということが多かった。だました観光会社は私が途中で旅が中断すると考えていたのか、最後のホテルは予約されていなかった。まあ、今思い出してもよく無事に帰って来れたなあと思う。ということで本題に戻る。

    

 『インドで学んだこと』

1.行動しなければなにも変わらない。

2.時間はコントロールするものではない。

3.今を大切に生きる。

4.他人を気にしない。

5.結果を気にしない。

6.生きていることに意義を見出さない。

 

これで一旦私のブログはお休みします。次のブログでは、インド旅から帰ってきてからの私の生き方を載せて行こうと思います。それではまた、( ´Д`)ノ~バイバイ

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ガンジス河の夜明け



 

 

 

インド旅30

インドから帰ってきた自分を過大評価しては何の変化も起きていないことに残念がる自分がいる。行動に移さないで変化することはできないとわかっているはずなのだが、満たされた日本にいると楽な方へ気持ちがシフトしている自分に気づく。

あるテレビ番組で所ジョージ「今日そのものが美しい」「なりたいものになるんじゃなくて、なったものが自分」と言っているのをテレビで観た。

 「今日そのものが美しいわけ。みんな明日があるからって希望みたいなこと言うけど、今日が充実してないと明日にならないから。明日を夢見るんだったら、今日を充実させないとダメ

 「子どものうちはバカだから、何でもやるんだよ。できないことでもやるんだよ、ケガもするけど。大人になると、そういうのが向いてないから(とか)やっても無駄だとかやらなくなっちゃう、だからつまらない。ステップを踏むだけでいい

 「なりたいものになるんじゃなくて、なったものが自分なんだよ。なりたいものを求めるんじゃなくて、そこで楽しく暮らせよってことだよ。そしたらやがて、勝手に夢が出てくるから」

自分にとって心にしみる言葉だった。今やれることをしよう。結果を求めるのはやめよう。毎日新たなことを挑戦しよう。自分を認めよう

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インド旅29

登山家の栗城史多さんがエベレストで亡くなった。私は2年ほど前に彼の講演を聞いたことがある。凍傷で指を失くしてもまたエベレストに挑戦し続けるという話を聞いて、なぜそこまで自分を追い込むのかと、その時は疑問を持ちながら聞いていたと思う。彼の目的がわからなかったからだ。「何を得ようしているのだろう?」「注目され、やめれなくなったのか?」「借金はどれくらいだろう?」「彼をそこまで駆り立てるものは何だろう?」などと思いながら聞いていた。

インド旅から帰ってきて、私は彼の気持ちが少し理解できるような気がする。目的を外に求めてはいなかったのだ。何かを達成して自分が変わるとか他人に評価されるとかは彼にとってどうでもよかったのではないか。私たちは損得勘定に惑わされ過ぎているような気がする。例えば「いくら儲かるのか、注目されるのか、地位が得られるのか」などと絶えず外に評価を求めて生きている。

栗城史多さんは登山家だ。私も大学時代登山部に所属していたので、登山をする人の気持ちがわかる。自分を追い込んで苦しくて仕方がない環境の中で、あきらめたら後悔すると葛藤しながら最終的に頂上に立ち、そして無事下山した時の感動というか感情を忘れられないのだ。登山をしない人に話しても理解してもらえないところだ。

しかし、自分を追い込んで喜んでいるM的な感情が登山する理由だと言う人はほとんどいない。一方、登った山の名前とか山の数の多さとか山の高さを登山の目的だと説明する人は多い。登山を正当に評価させるために外向けにシフトしたことに気づいていない人もいるのではないだろうか。

ブログやインスタグラムは他者が見るのだから、他者の評価を気にして作成する人がほとんどだと思う。しかし、栗城さんはスポンサーや応援してくれるサポーターに対して自分の登山動画を配信していたが、他者からの評価は気にしていなかったのではないだろうか。だから何度もエベレストに挑み続けられたのではないだろうか。

彼にとっては、エベレストという限界的な状況に身を置くことで出会える感情そのものが彼の目的だったと思う。そして彼は命を懸けてでもそれに触れようとした。

勝手な解釈かもしれませんが、栗城さんのご冥福をお祈り申し上げます。

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インド旅28

私はインド滞在中、テレビを全く見なかったし、酒も一切口にしなかった。理由は単純で、余裕がなかったからである。毎日緊張していた。インドは旅人に対しては試練を与えてくれる国なのだ。当然ながら、人も食べ物も気候も環境も文化も考え方も習慣も日本とは全く違う。久しぶりにブログを読み返すと、その試練の中で自分に向き合っていることがわかる。

インド旅12より~

「俺が日本にいなくても日本は変わらない。俺がインドにいてもインドは変わらない。俺自身も何も変わっていない。これが自然の動きなのだ。俺は何かをすれば変わる。変わるということが大事なことだと考えすぎていた。一人一人の人生を大きくとらえ過ぎていた。インドに来てわかったことは人も犬も牛も鳥も虫も死なない限り生きている。生きている限り毎日食し、くそをたれているだけだ。金持ちも乞食も健常者も障がい者も結果同じだ。死ぬまでは必死に生きようとする。宗教というもので誰もが自分だけは幸せに死にたいと考えている。俺はあと何年生きているのだろう。きっと死ぬまでは生きているのでやりたいことはやろうか。どうせ何も変わらないのだから。」

 

日本に帰ってきて、あっという間に二十日以上が過ぎてしまった。出発前の自分に戻ってしまった。平和ボケのの何の緊張感も持たない今の自分では、絶対出てこない必死な感情だなあと思う。上のブログにでも書いている通り、人は何かを経験して変わっていくのでななく、環境を変え、自分を追い込んだ状況を作らないと変わらないのだ。

そろそろまた何かを始めよう!!

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ムンバイCSMT駅内



インド旅27

今回の旅が過酷な旅となったのは、インドに着いた初日に騙されて連れて行かれた旅行会社の無責任な行程表が原因だったのは事実だが、よく考えるとそんな旅行会社が当然のごとく存在するのがインドなのだ。たまたまではなくて、インドへ行けば起こるべきして起こったことなのだ。

なぜインドを選んだのか。インドの情報を全く知らなかった訳ではない。インドで被害にあった観光客のこともガイドブックやインターネットで知っていた。なのにインドへ行きたかったのだ。つまり最初から安全で楽しく旅行したいとは考えていなかった。旅するのに欠かせない便利なスマホも持って行かなかった。快適でぜいたくな旅になるような大金を使うことも全く考えなかった。むしろ最初から貧乏旅行をすると決めていた。つまり私は自分の人生を振り返るために、あえて自分を追いつめるような旅をしたかったのだ。そしてそんな旅ができる国がインドだったのだ。

だから今回のインド旅は自分が望んでいた旅だったのだ。本当に1か月間自分を追いつめることもできたし、自分というものを客観視することもできた。これは慣れ過ぎて緊張感など感じることのない日本での生活では絶対に味わえないものだ。

ブログを書き始めて、やっと自分でも本心を表せるようになったと思う。嘘を書いていたのではなく、自分の本心にたどりついたのだ。自分を追いつめるような旅を望んでいたなんて自分でもびっくりする。

旅とは現実逃避であることに違いない。日常と全く異なる場所で異なる食事をし、初対面の人と時間を共有し、思い出を作り出していく。そして旅は大きく2つに分けることができる。ストレスから解放されたぜいたくな旅か、新たなストレスで自分を追い込んでいく旅なのである。私はもちろん後者である。私はブログの中で今までにいくつかインドを否定したり、インドの悪口を書いたことを反省する。インドを評価するようなことを書いても仕方がない。インドはインドであり、絶対的なものなのだから。

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エローラの石窟寺院

 

インド旅26

私のインド旅はデリーに到着した朝に、あるインド人に「インディアン・トラベル・センター」という旅行会社に連れて行かれたところから始まった。私が日本で時間をかけて準備した旅行計画をその旅行担当者があっという間に作り替えられてしまった。私の計画はアバウトなもので行く先々で宿泊も交通手段も臨機応変に変えられるものだった。とにかくブッダガヤ、ガンジス川コルカタの方からブータンの方へそしてヒマラヤ山脈を間近に見れたらいいなあと思っていた。とにかく固定化されたパック旅行はしたくないと思っていたからだ。しかし、そんな風に担当者に説明すると笑いながら「あなたはインドを知らない。私が最高の1か月インド旅行計画を作ろう」と言った。

今考えればインドのことをほとんど知らずにやってきた私を説得するのは赤子の手をひねるのと同じくらい簡単だったろう。彼らはまず私に1か月の旅行にかかる費用を高く提示するために私の訪れる町を大幅に増やした。南のムンバイまで行くこと、そして列車だけでなく飛行機の利用も勧めてきた。行かないのはもったいないと言われるとだんだんその気になっていった。結局、相手の言う金額を何の根拠もなく受け入れ、カードで支払ってしまったのだ。

あとは彼らがすることは簡単である。儲けを増やすために安いホテルばかりを選び、市街地のホテルを予約していた。これには別の理由もあった。他の日本人と会って情報が私に入るのを防ぐためでもあった。旅行内容の欠点をばれたくなかったのだ。たとえば列車予約がキャンセル待ちの状態のままのものもあった。駅通しの連絡がない所やムンバイ空港への移動はいくつも乗り換えが必要だった。そういうことを何の説明もせずに簡単な旅行行程だけで私を送り出したのだ。眠ることができないような暑いホテルもあったし、ひどかったのは深夜に到着したのにホテルの事前予約を旅行会社が入れておらず、ホテルの玄関でずっと待たされたこともあった。

インドの旅が私の最初の計画とはかなりかけ離れたものになったが、結果としてはいろんな経験ができた。自分の計画で旅していたらここまで広範囲で周ることは無理だったろう。ハラハラドキドキの緊張感、不安と恐怖で眠れない夜、経験したことのないほどの待ち時間、英語で本気で相手と言い争いをしたこと等こんな経験ができたのはあのインディアン・トラベル・センターのおかげではなかったかなとも思うのだ。

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ホテルなのになぜか鉄格子?!



 

 

インド旅25

実はインド滞在中は1日1食しかとっていなかった。理由は2つある。1つはインドのカレーを食べると下痢をしてしまうこと。もう1つはあまりにも不安な旅だったため食欲がなくなっていたからである。つまり、デリーの旅行会社にだまされ、行程を勝手に決められ、自由な旅ができなくなったこと。その行程表がざっくりしたもので、情報が少なかったこと、ヒンドゥ語しか話せないインド人が多く、英語が通じなかったこと、相談する人がいなかったこと等がけっこう自分を追い込んでいたのだ。その証拠に体が危機的状況だと感じて防衛本能が働いていたのだろう。本当に空腹と感じることは1か月間一度もなかった。今、思い出してもそれだけ過酷な旅だったのである。今でも日本に無事によく帰って来れたなあと思う

1か月ほとんど食べていないのだから相当痩せるだろうと思っていたのだが、見た目がそれ程変わらなかった。多少おなかの出っ張りがへこんだくらいだ。今まで日本での生活が食べ過ぎていたのだと食生活を反省し、改善しようと考えていたのだが、日本に帰ってからは、毎日食べまくっている。おいしくて仕方がないのだ。リバウンドが心配だ。

 

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